発売年: 1995 開発元: アルファ・システム ジャンル: RPG 初出ハード: PCエンジン SUPER CD-ROM2 目安時間: 25〜50時間

このゲームはどんな作品か

『リンダキューブ』は、1995年にNECホームエレクトロニクスからPCエンジン SUPER CD-ROM2向けに発売されたRPGです。開発はアルファ・システム、企画・シナリオ面では桝田省治の名前が強く知られ、音楽には田中公平が関わっています。のちにPlayStation版やセガサターン版も展開され、機種ごとの差や追加要素を含めて語られることの多い、かなり特異な存在感を持つ作品です。

本作の舞台は、巨大隕石の接近によって滅亡が迫る惑星です。プレイヤーは主人公ケンを操作し、ヒロインのリンダとともに、世界が終わる前に動物を集めていきます。目的は、勇者として魔王を倒すことではありません。滅びゆく星から生命を未来へ運ぶため、動物をつがいで捕獲し、箱舟へ登録していくことです。この「終末」と「動物収集」の組み合わせが、『リンダキューブ』の核になっています。

一見すると、動物を集めるゲームという説明は穏やかに聞こえます。しかし実際の『リンダキューブ』は、かなり異様な温度を持つRPGです。世界は明るい冒険の舞台ではなく、滅亡までの時間が決まった場所です。人々は逃げようとし、壊れ、欲望をむき出しにし、ときには笑ってしまうほど奇妙な行動を取ります。動物もかわいい収集対象というより、狩り、戦い、捕獲し、解体や売買の対象にもなる存在として描かれます。

主人公のケンとリンダの関係も、本作の印象を決定づけています。少年と少女の冒険でありながら、そこには単純な恋愛や青春だけではない、生々しさや不穏さがあります。シナリオは複数に分かれており、同じ世界や人物を使いながら、異なる筋立てで終末の物語が描かれます。プレイヤーは、滅びる世界を何度も別の角度から見ることになります。

ゲームとしては、フィールドやダンジョンを探索し、動物を見つけ、戦い、捕獲し、箱舟へ登録していく流れが中心です。限られた時間の中で、どの地域へ行くか、どの動物を狙うか、どこまで深入りするかを考える必要があります。普通のRPGのようにレベルを上げて強敵を倒す楽しさもありますが、それ以上に重要なのは「どれだけ生命を集められるか」です。

『リンダキューブ』は、名作というより怪作と呼びたくなる作品です。整った王道RPGではありません。残酷で、奇妙で、悪趣味で、でも妙に忘れられない。明るい曲やコミカルな会話の奥に、滅亡、暴力、肉体、愛情、生命保存という重いテーマが潜んでいます。30代から50代の大人が今触れるなら、単なるレトロゲームではなく、「ゲームでこんな題材を扱えたのか」と驚ける一本です。

当時なぜ重要だったのか

『リンダキューブ』が当時重要だったのは、RPGが必ずしも英雄譚である必要はないと示したことです。1990年代半ばのRPGは、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』を中心に、冒険、成長、仲間、世界救済という形が強く定着していました。その中で『リンダキューブ』は、世界を救えないことを前提に始まります。プレイヤーに与えられる目的は、滅亡を止めることではなく、滅亡までに何を残すかです。

この発想はかなり大胆でした。多くのRPGでは、危機は克服されるべきものです。しかし本作では、終わりが迫っているという事実がゲーム全体の土台になっています。だからこそ、冒険には常に時間の圧力があります。のんびりレベル上げをしている間にも、世界は終わりへ向かっています。敵を倒して強くなるだけでは不十分で、生命を集め、記録し、未来へ送る必要があります。

また、動物収集という目的も独自でした。後年のモンスター収集ゲームのように、仲間にして育てる楽しさとは少し違います。『リンダキューブ』の動物たちは、保存すべき生命であり、同時に資源でもあり、敵でもあります。かわいい、強い、珍しいというだけでなく、世界が終わるからこそ集めなければならない対象です。ここには、生命を大切にしているようでいて、どこか乱暴でもある独特の感触があります。

桝田省治の作品らしい、システムとテーマの結びつきも重要です。のちに『俺の屍を越えてゆけ』で寿命と世代継承をゲーム化したように、『リンダキューブ』では終末と収集がゲームのルールになっています。設定だけが重いのではなく、プレイヤーが実際に時間を使い、動物を探し、捕まえ、箱舟へ登録することで、終末を体験します。

PCエンジン SUPER CD-ROM2という初出機種も、本作の個性に関わっています。CD-ROM媒体による音声や演出、アニメ的な表現を取り入れつつ、内容はかなり尖っています。PlayStation版やセガサターン版で触れた人も多い作品ですが、もともとの出発点からして、家庭用RPGの中では相当変わった立ち位置にありました。

当時のRPG史の中で見ると、『リンダキューブ』は主流を作った作品ではありません。誰もが遊んだ国民的RPGというより、一度触れた人の記憶に強く残るタイプの作品です。しかし、その重要性はそこにあります。ゲームは美しい冒険だけでなく、悪趣味で、過激で、不安で、生命の扱い方そのものを問いかけるような体験にもなり得る。『リンダキューブ』は、その可能性をかなり早い時期に見せた作品でした。

今から遊んでも面白いポイント

今『リンダキューブ』を遊んでも面白いのは、目的の異様さがはっきりしているところです。RPGを始めると、プレイヤーはたいてい「次の町へ行く」「ボスを倒す」「物語を進める」ことを考えます。しかし本作では、それと同時に「動物を集める」という別の軸が常にあります。世界が滅ぶ前に、どの動物を何体集めるのか。どの地域に、どの季節や条件で出るのか。収集と探索が、物語の進行と強く結びついています。

動物を捕まえる過程には、狩猟のような手触りがあります。敵として現れる動物を倒すのか、捕獲するのか、素材や金策として考えるのか、箱舟への登録を優先するのか。戦闘そのものは昔のRPGらしい部分もありますが、目的が単純な経験値稼ぎではないため、毎回の遭遇に意味が生まれます。珍しい動物を見つけたときの緊張感は、本作ならではです。

複数シナリオ制も、今遊んでも強い魅力です。『リンダキューブ』は、同じ世界観を使いながら、シナリオごとに異なる物語を見せます。ケンとリンダ、周囲の人物、滅亡へ向かう世界の見え方が変わることで、プレイヤーは一つの真相を追うというより、終末世界のいくつもの顔を見ることになります。単純な一本道ではないため、繰り返し遊ぶ意味があります。

また、本作にはブラックユーモアがあります。扱っている題材は重いのに、会話や展開には妙なおかしさがあります。人間の醜さや欲望が過剰に描かれ、笑っていいのか分からない場面もあります。現代の大作ゲームのように丁寧に整えられた倫理観ではなく、もっとざらついた、危うい表現があります。そこが苦手な人もいるはずですが、刺さる人には強烈に刺さります。

田中公平による音楽も、本作の奇妙な味わいを支えています。終末ものだからといって、全体が暗い音楽ばかりではありません。どこか明るく、冒険的で、時にコミカルな響きがあるからこそ、世界の異常さが際立ちます。滅亡が迫っているのに、人々は生活し、商売し、恋をし、争い、冗談を言う。その温度差が『リンダキューブ』らしさです。

ただし、今遊ぶ場合、古さや癖はかなりあります。UIやテンポ、ゲーム内の説明、表現の過激さ、シナリオの毒気は、万人向けではありません。親切な現代RPGに慣れていると、戸惑う部分も多いでしょう。だからこそ、最初から快適な名作を期待するより、「90年代の尖ったRPGを体験する」という姿勢で入る方が合っています。

大人になってから刺さるポイント

大人になってから『リンダキューブ』に触れると、終末という設定が単なる刺激的な舞台装置ではなく、かなり現実的な問いとして迫ってきます。若い頃は、滅亡までに動物を集めるという設定を奇抜なゲーム目的として楽しめます。しかし年齢を重ねると、「終わりが決まっている世界で、何を残すのか」という問題が重くなります。

本作では、世界の終わりを止めることが主目的ではありません。これは大人にとって、かなり刺さる構造です。人生でも仕事でも家庭でも、すべてを解決できるわけではありません。壊れていくもの、終わっていくもの、取り戻せないものがあります。その中で、何を保存し、誰に託し、どこまでやるのかを選ばなければならない。『リンダキューブ』の箱舟は、そうした選択の象徴にも見えます。

動物収集という行為も、大人になってから見ると複雑です。生命を救っているようでありながら、動物を戦闘対象として扱い、捕獲し、管理し、登録していく。そこには、生命を大事にする気持ちと、生命を分類し利用する人間の都合が同居しています。きれいな自然賛歌ではありません。だからこそ、逆に生々しいのです。

ケンとリンダの関係も、大人になってからの方が不穏さを含めて味わえます。若い男女が終末の世界を旅する話でありながら、そこには純粋なロマンスだけでなく、依存、恐怖、執着、成長、別れの気配があります。シナリオによって見え方が変わるため、単純に「この二人が世界を救う」という物語にはなりません。人間関係が常に安定しているわけではないところが、本作の大人向けの痛みです。

また、滅亡前の人々の姿も印象に残ります。世界が終わると知ったとき、人は高潔になるとは限りません。欲望に走る人もいれば、平然と生活を続ける人もいます。壊れる人も、商売をする人も、誰かを愛する人もいます。この雑多さは、きれいな終末ものとは違います。大人になると、人間が危機の前で必ずしも美しく振る舞えないことを知っているため、『リンダキューブ』の悪趣味な人間描写が妙に納得できる場面があります。

そして何より、本作は「残すこと」のゲームです。強くなること、勝つこと、真相を知ることも大切ですが、それ以上に、滅びる世界から何を持ち出すのかが問われます。これは、創作や仕事にも通じます。自分の時間には限りがあり、すべてを抱えて未来へ行くことはできません。だから、選ばなければならない。『リンダキューブ』は、その選択を動物収集という奇妙な形でプレイヤーに体験させます。

自分で遊ぶべきか、実況で見るだけでもよいか

『リンダキューブ』は、実況で見てもかなり面白い作品です。シナリオの癖、会話の毒、終末世界の異様さ、ケンとリンダの関係、動物収集の奇妙さは、動画でも伝わりやすい部分があります。入手環境に難しさがある作品でもあるため、すぐに自分で遊べない人が、実況や解説で雰囲気を知るのは自然な選択です。

ただし、この作品の本質は、できれば自分で触れた方が分かります。なぜなら、動物を集める作業そのものが、物語のテーマだからです。実況で見ると、収集は編集で短縮されたり、効率よく進められたりします。しかし自分で遊ぶと、目的の動物が見つからない焦り、時間が過ぎる不安、捕獲に失敗したときの苛立ち、箱舟に登録できたときの安堵があります。この感情の揺れは、プレイしないと薄くなります。

また、『リンダキューブ』は自分のペースで迷うことに意味のある作品です。次にどの地域へ行くか、シナリオをどこまで進めるか、収集を優先するか、戦力を整えるか。効率よく攻略するだけなら情報を見ればよいのですが、終末までの時間をどう使うかを自分で悩むことが、本作の体験になっています。

一方で、誰にでも自分で遊ぶことを強くすすめられる作品ではありません。古いゲーム特有の不便さがあり、表現にもかなり癖があります。グロテスクな描写やブラックユーモア、倫理的にざらついた展開が苦手な人には、無理にプレイするより実況で距離を取って見る方が合うかもしれません。特に、雰囲気だけ知りたい人、桝田省治作品の流れを追いたい人、ゲーム史的な関心で触れたい人には、動画視聴も現実的です。

自分で遊ぶか迷うなら、まず序盤だけ触れるか、ネタバレを抑えた紹介で空気を確認するのがよいでしょう。『リンダキューブ』は、合う人には忘れられない作品になりますが、合わない人には悪趣味で面倒なRPGに感じられる可能性もあります。その極端さも含めて、非常に90年代的な作品です。

今遊ぶならどの方法が現実的か

今『リンダキューブ』を遊ぶ方法は、正直に言えば少し確認が必要です。初出はPCエンジン SUPER CD-ROM2版で、その後PlayStation版やセガサターン版などが存在します。ただし、現在どの版が正規に入手しやすいか、どのハードで動かせるか、配信版が利用できるかどうかは時期や環境によって変わる可能性があります。これから遊ぶ場合は、必ず公式ストアや正規販売情報、中古市場の状態を確認してください。

PCエンジン版で遊ぶ場合は、初出当時の空気を味わえるのが魅力です。ただし、SUPER CD-ROM2対応環境を整える必要があり、今から始めるにはかなりハードルが高い方法です。本体や周辺機器、ディスクの状態、映像出力環境まで考える必要があります。コレクション性はありますが、初めて作品に触れる人向けとは言いにくいかもしれません。

PlayStation版は、比較的名前を聞く機会が多い版です。PS版を中古で探す場合、ソフトの状態、価格、動作環境を確認する必要があります。旧PlayStation実機、対応する後継機、メモリーカードなど、遊ぶための環境も必要です。版によって内容や遊びやすさが異なる場合があるため、購入前に自分がどの版を買おうとしているのかを確認した方が安全です。

セガサターン版も選択肢として挙げられますが、こちらも中古ソフトと実機環境が必要になります。サターン本体を持っている人や、当時の環境にこだわりたい人には魅力がありますが、手軽さではハードルがあります。

このサイトでは、ROM配布、非公式ダウンロード、違法エミュレータなどは扱いません。『リンダキューブ』は入手性の面でやや難しい作品ですが、だからといって不明瞭な方法に頼るのではなく、正規の販売情報や中古の正規品を確認するのが前提です。遊ぶ環境を整えるのが難しい場合は、まず実況や解説で雰囲気を知り、機会があれば正規の形でプレイするという距離感でもよいでしょう。

似た作品・次に触れたい作品

『リンダキューブ』に触れたあと、まず次に考えたいのは『俺の屍を越えてゆけ』です。同じく桝田省治の作家性が強く出たRPGであり、ゲームシステムとテーマが密接に結びついています。『リンダキューブ』が終末までに生命を集めるゲームなら、『俺の屍を越えてゆけ』は短命の一族が血を継いでいくゲームです。どちらも、時間制限、生命、継承、残すことを扱っています。

『MOTHER2』も、別方向から触れたい作品です。見た目は明るく、現代的で、ユーモアに満ちていますが、日常の中に不気味さや孤独が入り込む感覚があります。『リンダキューブ』ほど露悪的ではありませんが、普通のRPGとは違う温度で世界を描く作品として、並べて考えると面白いはずです。奇妙な町、人間の変さ、音楽と言葉の印象に惹かれる人には相性があります。

『ゼノギアス』も、1990年代RPGの異様な熱量を知るうえで触れたい作品です。こちらは巨大ロボット、宗教、心理、記憶、世界構造をめぐる重厚なRPGです。『リンダキューブ』とは遊び心地も題材も違いますが、家庭用RPGがここまで濃いテーマを抱え込んでいた時代の空気を感じられます。整った快適さより、作り手の思想や過剰さに触れたい人には向いています。

『リンダキューブ』は、万人にすすめやすい作品ではありません。今遊ぶには環境の確認が必要で、内容にも癖があり、古さもあります。けれど、だからこそ他のRPGでは代わりになりません。滅亡前の世界で、動物を集め、箱舟へ登録する。かわいいようで残酷で、救済のようで管理でもあり、冒険のようで終活でもある。その矛盾した手触りが、この作品の強さです。

30代から50代の大人が今触れるなら、『リンダキューブ』は懐かしさを楽しむだけのゲームではありません。終わりがあると分かったとき、自分は何を残すのか。大切なものを全部は持っていけないとしたら、何を選ぶのか。そうした問いを、動物収集RPGという異様な形で突きつけてくる作品です。

ゲームはきれいな感動だけを与えるものではありません。気持ち悪さ、笑い、不安、焦り、愛着、後悔も体験にできます。『リンダキューブ』は、そのことを強烈に思い出させてくれる一本です。整った名作ではなく、忘れにくい怪作として、今も触れる意味のあるRPGです。

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